キレツへの懸念

いわきで生じ始めているらしい,2つの亀裂を心配している。
人々の間にわだかまりが残ることは,復興の足かせにはなれ,推進力にはならない。

1つは,市民と行政の間に生じ始めているキレツ。
水道の復旧や物資をめぐって,行政に対する不満の声が上りがはじめている。
それだけ,精神的にも体力的にも限界に近付いている人がいるのだと思う。

想像力を働かせてみてほしい。

あれだけ広い市内の,私たちはどこに埋まっているか知らない水道管の破損を探し当て,修復する。普段見掛けてきた水道工事にかかる手間を思い出してほしい。断水地域の広さを考えれば,気の遠くなるような作業だ。それでも毎日復旧状況が発表され,着実に前に進んでいる。
プロの仕事に敬服。
勝手な想像だけれど,震災から2週間,市の職員はろくに食事もとらず,ほとんど不眠不休で働いていると思う。家族や家をなくした人もいるだろう。

物資があるのに配給されない,ボランティアが取りに行ってももらえない,という話も出てきている。
これも勝手な想像だが,現場の職員は,規則や上からの指示と市民との間で板挟みなのではないか。そういうことが起きるのは,圧倒的にマンパワー(それもプロの力)が不足しているからではないか。職員だって,同じように被災地で生活している。体力も精神的にも追い詰められているのではないか。

どうか想像力と思いやりを。


もうひとつ。いわきから出る人・残る人の間に生じ始めているキレツがある。これは原発周辺の地域に共通することだ。
物資がなかなか入らない状況がある。住み慣れた場所を離れ,残る人たちに配分される支援を増やしたのだから,避難した市民は,残った人とともにねぎらわれるべきだと思う。
ただ,いわきを出た人が医療・福祉・教育・行政などの関係者のときには,人々の見方は変わってくる。

地震の直後,家族を守ろうとした人,心配した人は多いだろう。彼らにも家族がいる。先行きが見えない中,彼らも「家族」という市民を守ったのだとは考えられないだろうか。
もともといわきに住んでいない人だって,何もできない日々をつらい気持ちで過ごしたのだ。市民をサポートする立場にいて避難した人は,どんな気持ちで避難生活を送っただろうか。罪悪感,後ろ髪引かれる思い,家族を守らなければという気持ち…想像するだけで引き裂かれるようだ。それだけで十分ではないだろうか。

だから,残った人は「お互い大変だったね。これから一緒に頑張ろうね」と,戻る人々を温かく迎えてほしい。
一時いわきを離れた人も,罪の意識をもつ必要はない。「いわきを守ってくれてありがとう。また一緒に頑張ろうね」と復興に向けて,いつも通り汗を流せばいい。

そういういわきは,愛すべき街だ!
私たちは,いわきを応援しています。

2011/3/28 aki0246